佐賀錦を織る。

佐賀錦を織って、その織地を使って日常で使うものをつくっています。

佐賀錦の歴史   

アクセス有り難うございます。

 

佐賀錦振興協議会のホームページの歴史をクリックすると

次の文章が表示されます。

 

佐賀錦振興協議会のホームページからの引用です。

 

< 佐賀錦は、江戸時代末期に肥前佐賀県鹿島藩鍋島家の深窓で創案作成され、

鹿島鍋島家の女性たちの苦心による創出であるといわれています。

 

 この佐賀錦の起源については、鹿島鍋島家9代目藩主夫人柏岡の方がたまたま病の床に伏せていた時に、部屋の風雅な天井の網代組(あじろぐみ)の美に心を打たれ、これを日常生活に応用できないかと近侍の者に相談され、近習の並木某が苦心研究の末、観世縒(かんぜより)で網代を編んで印籠を作り、なかなかに雅趣のあるものになったといわれています。

 佐賀錦に工夫、改良を加えたのは鹿島藩歴代夫人であり、その伝統は14代直繩(なおただ)の夫人政子氏に受け継がれ、今日に至っています。

 

 明治初期に入ると佐賀錦は一時中断されます。しかし、佐賀県出身の故大隈重信候がこれを惜しまれ、旧華族の間で再興されると、大層評判となりました。

 

 その後、明治43年にロンドンで日英大博覧会が開催された時、当時まだ鹿島錦と呼ばれていましたが、出品を機に佐賀錦と名づけられました。日本手芸の極致と称賛を受け、一気にその名声を遠く海外にまで広めることとなり、そのとき改めて佐賀錦と名づけられ、以後一般的に佐賀錦の名が定着したものと思われます。  >  

 

 

赤い字の部分が変だと思いませんか。

佐賀錦は、江戸時代末期に肥前佐賀県鹿島藩鍋島家の深窓で創案作成され

と書きながら、

明治43年にロンドンで日英大博覧会が開催された時、当時まだ鹿島錦と呼ばれていましたが、出品を機に佐賀錦と名づけられました。

 

最初の ー 佐賀錦は、江戸時代末期に、、、、、、、      

この- - -  佐賀錦 -- の部分と赤字の佐賀錦を - 鹿島錦は - にすれば良いだけのことなんですが。 そうはしたくないでしょうね。

 

明治43年以前は鹿島錦と呼ばれていた訳です。

明治43年にロンドンの日英大博覧会に出品するので、技術的にいろんな工夫をし

鹿島錦から枝分かれをして、新しく佐賀錦としたのです。

東京で。

佐賀錦は東京で産まれ、育ってきたのです。

 

また、振興協議会のホームページからの引用です。

<    そのとき改めて佐賀錦と名づけられ、以後一般的に佐賀錦の名が定着したものと思われます。>   

 

鹿島錦が佐賀錦になった訳ではないんですよ。

 佐賀の鹿島には今も鹿島錦が脈々と織り受け継がれています。

県や市や振興協議会は、佐賀錦は東京で産まれとは絶対に書きたくないでしょうね。

ましてや、元を辿れば鹿島錦だなんてね。

 

佐賀錦の織り手は佐賀より東京の方が遥かに多いし、技術的にも上です。

佐賀から本場の東京に商品を持って行っても、目の肥えた人が相手にする訳が

ないと思うんですがね。

 

何故佐賀錦と名付けたかと言うと、諸説ありますが

佐賀を懐かしく思ってとか、関東では鹿島錦では

茨城の鹿島神宮を考えるからとからしいです。

 

では、では。

最後まで読んで頂き有り難うございました。